前回に引き続き、ミルの人物像について書いていきます。今回は父親と同様にミルにとって大きな存在である、ハリエット・テーラーについてです。
前回記事はこちら
J.S.ミルとハリエット・テーラー
24歳で出会ったハリエット・テーラー(22)はなんとすでに結婚した女性、かつ子持ちでした。にも関わらずミルは相当に彼女に惚れ込んでいたようで
「それまでに私の知ったすべての人たちに一つずつでも見いだしえたらさぞうれしく思ったろうと思われるいろいろな美質をたばにしてそなえている」(杉原四郎著『J.S.ミルと現代』より引用)
とまで述べています。実際彼女はミルの著作にもアドバイスを与え共同著作という形をとっています。
すでに結婚していたハリエットと周囲の反対を押し切って交際を続け、20年近い時が経って夫のテーラー氏が亡くなり、43歳(1849年)になってついにハリエットとミルは結婚しました。粘り強すぎます、、、。こうした周囲の常識に流されず、個人の自由として許される範囲(なのか微妙だが)はやりたいことを貫くこともミルの姿勢を示しているかもしれません。
この1年前(1848年)には『経済学原理』を書いており、ミルの名声は徐々に広がっていきますが、1858年に南仏のアヴィニョンで旅行中にハリエットが倒れ、亡くなります。翌年1859年に53歳となったミルが書いたのが『自由論』です。
さらにその2年後の1861年に『功利主義』を書き上げます。加えて1869年に『女性の隷従』を書きます。ハリエットが著作に参加していることからわかるように、女性についても平等だとミルは考えており、婦人参政権の獲得に向けて運動を行っていました。そこに関して書いたのが『女性の隷従』でした。
ハリエットの娘である、ヘレン・テーラーがこの時にはミルの世話を行っていることも印象的なエピソードです。母親と不倫関係にあった男性という微妙な関係ですが、母の死があってからミルのもとを訪れ、身の回りの世話をするというのは母とのミルの関係やミル自身にも尊敬させる何かがあったということでしょう。
晩年のミルはハリエットの亡くなったアヴィニョンに仮の住まいを建てて、時々そこで過ごしていたようです。そして、1873年に最愛の妻の眠る地で生涯を終えます。
とてもドラマチックな人生でしたが、ところどころにミルのもつ個人の自由の重要性や平等に対する考え、教育への啓蒙的な思想がちらちらと見えるのが面白いところです。
次はミルのもつ思想の根本である「功利主義」についてみていきます。
参考文献(前回記事で内容は紹介しています):
杉原四郎著『J.S.ミルと現代』
ピーター・シンガー、カタジナ・デ・ラザリ=ラデク著『功利主義とは何か』
児玉聡著『功利主義入門』
中村隆之著『はじめての経済思想史』
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