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【意見対立の解消に役立つ】エドムント・フッサールと現象学③

現象学の方法論と現象学が生まれるまでの流れを今までにみてきました。今回はその応用方法を一度考えてみようと思います。

 

前回までの記事はこちら

【意見対立の解消に役立つ】エドムント・フッサールと現象学② – 脳内ライブラリアン

【意見対立の解消に役立つ】エドムント・フッサールと現象学① – 脳内ライブラリアン

目次:

 

現象学的還元は具体的にどう使われるか

『現象学は<思考の原理>である』によれば、ある物事の本質が「これだ!」と確信できるには”確信成立の条件”が必要です。それは現象学的還元によって取り出されます。

 

同書でまず例として出されているのは、「明日は日曜日である」ということを確信するための方法です。これに対して現象学的還元を行ってみます。

 

まず、「今日は土曜日だから明日は日曜に決まってるじゃん」という客観的な見方をエポケー(判断停止)します。

 

次になぜ自分が「今日は土曜日だと感じるか」そして「明日は日曜日だと思うのか」を分析します。

 

「今日はそういえばカレンダーをみたら土曜日だった」

「仕事が休みだなあ」

「その前の日にカレンダーをみたら金曜だった」

「土曜朝のテレビがやってたなあ」

「お店も休みだった」

「土曜日の次の日は今までの人生で毎回日曜日がきてた」

などなどの条件が出てくることでしょう。ここで、先ほどの「明日が日曜日」である確信成立の条件は今まで同じことを何度も繰り返した”反復可能性”であることが分かります。

 

これがひとつの現象学的還元の方法です。

 

今の例では自分一人の体験を顧みてみましたが、人との意見が対立した場合は、さまざまな人の立場で現象学的還元を行い、共通了解を組み立てていくことが必要です。

 

試しに別の例を考えてみます。

 

医療における現象学的還元

 

ここでは「病気」の本質を考えてみます。

 

より具体的に、神経内科でよく見る「脳梗塞」の患者さんについての現象学的還元を行ってみます。

 

脳梗塞は突然に発症し、半身に麻痺を来すことの多い重篤な疾患です。例えば右半身の麻痺を来したとしたときに、医学的・自然科学的にみれば全て同じ「脳梗塞」なのですが、いったんそれをエポケーして、患者さんの主観に立って考えます。すると人によって全然症状の受け取り方が違うことに気づきます。

 

例えば、

支援の得られない独居の男性(生活ができなくなり、家に戻れず悲しい)

仕事をする職人さん(仕事ができなくなって悲しい)

退職して家族の介助が得られる女性(何とか生活はできるけれど孫と遊べない)

など人によって全く異なります。

 

「脳梗塞」という意識体験の意味が、どのような状況や背景から成り立つかを理解することが、「病気」の本質をつかむうえで必要です。

 

医師の自然科学的な態度としての「脳梗塞」だけでなく、患者さんの立場における「脳梗塞」をみていくことで、治すべき疾患の「本質」はどこかをつかむことができます。

 

半身の麻痺が治ればよい、というのはみな一緒ですが、治療やリハビリはそんなにうまくいくわけではありません。人によって介護のサービスをしたり、職場との相談をしてもらったり、関わっていく方法が異なってくるわけです。

 

詳しい話は参考に挙げた医療ケアと現象学の関連を説いた本に記載があります。

 

 

新型コロナウイルス対策

 もう一つ、例をみてみます。意見の割れることの多い新型コロナウイルス対策はどうなのか。その本質を考えてみます。

 

コロナウイルスの対策で問題なのは、「Go To トラベルキャンペーン」のように、経済活動を優先するか、感染を抑えるために経済活動を抑制するかという点です。極端な話、全部移動を規制すれば感染は抑えられるわけですから。

 

自分の医師としての立場で考えると「とにかく人命優先で感染を抑えてよ」と思いますが、これを一度エポケーします。

 

そこで、自分の主観的な意識体験に立ったときを考えてみると、実際のところ医療機関が切迫した状況であることや他の日常診療にも影響を与えていること、発熱の患者さんをみることへのためらいと家族にうつす不安(といっても診るしかないんですが)などを感じます。そこには自分や患者さんが感染によって命を脅かされているということがあります。

 

立場を変えて観光地の飲食店店主の方の例を考えてみます。

 

「感染は広げたくはないけれど、生活できなくなるんだから経済を回すしかないでしょ」という考えをエポケーして、主観に立ちます。

 

すると、経済状況が苦しい、家のローンも払わないといけない、店の維持費でひたすら赤字が続く、家計が圧迫されて死んでしまいそう、とはいえ自分や家族には感染させたくない、自分の店で感染者を広めたくないなどなど具体的な意識体験が出てきます。

 

すると共通了解として、「命は大事、感染者は増やしたくない」ということが導き出されます。ここでいう「命は大事」には経済的に、という意味と病気で死ぬという意味の両面があります。つまり、2つの意見は完全に真逆で一致しないものではなく、「生活に困窮しないよう経済が保たれつつ、感染を可能な限り抑える」のが本質であることが分かります。

 

適当に作ったので粗があると思いますし、「そんなのすぐ分かることでしょ」と感じると思うのですが、「現象学」が思考のひとつのスタイル であり、用い方は過去の哲学者たちをみるようにそれぞれです。

 

応用を効かせることで、不毛な言い争いでなく、建設的な意見の構築ができることが、「現象学」 の面白いところだと思います。

 

参考文献:

現象学は思考の原理である (ちくま新書)

現象学 (岩波新書)

医療ケアを問いなおす ──患者をトータルにみることの現象学【シリーズ】ケアを考える (ちくま新書)

 

参考文献の紹介記事はこちら

「現象学」について学び始めたい人に紹介する本3冊 – 脳内ライブラリアン

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