経済学関連の本も時々読んでいるのですが、基本的にその辺りの話は知識が乏しくて、記事を書くのもなあ、、と思っていたんですけども、逆に書かないとやっぱり本の知識が頭に入らないので、背伸びしつつ書いてみようと思います。
今回読んだのは『武器としての「資本論」』。政治学者である白井聡氏の書いた本で(調べたら最近問題発言で取りざたされていたようですね)マルクスの「資本論」を元に、資本主義の精神がいかに人の内面まで影響しているかを書いた本になっています。
自分が子供のころを思い出すと、ソ連崩壊後ということもあってか、共産主義=終わった思想・やばい思想、という雰囲気があって、あまりにも「真っ赤」なこの本の表紙を見ると、ちょっと抵抗感を感じてしまいます。
そもそも資本主義とは?
ネットで軽く調べるだけでも定義は色々出てくるわけですが、本書中の定義では
「物質代謝の大半を商品の生産・流通(交換)・消費を通じて行う社会」であり、「商品による商品の生産が行われる社会(=価値の生産が目的となる社会)」(武器としての「資本論」より引用)
となります。
物質代謝というのは、社会が色々な物の流通で動いているということで、本書中の例を借りれば、今こうやってブログ記事を書いているパソコンにしても、プラスチックやICチップやコンセントからの電気エネルギーなど様々な物の代謝として文章を生み出しているということです。さらにはこれがネットを通じて、他の誰かに繋がっていく、こうした動きを物質代謝と呼んでいます。
確かにここで言われる通り、パソコンの各部品も、電気も、すべて商品ですね。はてなブログの記事も無料ではありますが、広告がついているという点で、無料にみせかけて、実はある種商品の一つではあります。つまり、商品によって商品を生み出しているわけです。こうした商品はもはや網の目のように張り巡らされ、あらゆる場面で登場してきます。
ではこの本書における定義で、前半部分の「物質代謝の大半」の「大半」とはどの程度を指すのか。本書中では労働力と土地、と定義されています。かつての封建制では土地はそれぞれの人が所有し、労働力ではなく、地主に収める農作物が商品となっていました。それが、社会の変化により、「土地をなくして労働力のみをもつ農民」と「それを雇う工場主」が出現したときに初めて「物質代謝の大半」が商品となり、資本主義が成立したとされます。
欧米でこのような社会の変化の例として出されるのが、イギリスで16世紀に行われたエンクロージャー(囲い込み)です。これは毛織物工業が発展した頃に行われたことで、羊を飼って羊毛を得るのが儲かるようになったため、地主は土地を耕していた農民を追い出し、そこで羊を飼うようになりました。追い出された農民は土地もなく、働かないと生活に困窮するため工場にその働き口を求めます。つまり、この際に自らの労働力を商品にするということが生まれてきたわけですね。
資本主義の目的
前述のように「商品によって商品を生産する」のが資本主義ということになりますが、そうなると儲けを出すには、元手の商品の買値よりそこから作った商品の売値を高くしなければいけません。それが剰余価値と呼ばれます。
ある原材料から人が働いて商品を作る場合に、この剰余価値を生み出すにはどうするのかと言えば、いくつかの手段が考えられます。ひとつは労働賃金を下げて、労働時間を増やすこと。これは明らかに喜ばしくないことですね。
他の手段としてはテクノロジーを発展させて、労働効率を上げること。これは望ましい変化のように思えますが、ここが勘違いしてはいけない点で、必ずしもテクノロジーの発展が人の幸せにつながるわけではないんですね。
労働効率がいかに上がろうと結局は他の商品との競争なので、いつかはまた他社に追いつかれます。そうなると仕事が楽になって終わり、ではなく、また同じように働いて、再度また勝ち抜くために新しいテクノロジーを求めていく、、、。つまり、いくら働いても終わりはないんです。AIが人間を超えて発展していく「シンギュラリティ」なんてものが本当にあれば別ですが。
ただ確かにこのテクノロジーの発展によって、消費者としては生活が豊かになった部分はたくさんありますし、効率化されて良くなった点も多数存在すると思います。そのスピードの速さも目を見張るものがあるのは、資本主義のおかげです。しかしながら、それは人々の幸せに直結するためのものではなく、次々と剰余価値を生み出し自己増殖していくことが資本主義の目的であることに注意が必要です。本書で触れられているようにテクノロジーが発展することは資本主義にとってあくまで副次的な作用です。
ギリシアの財務大臣を務めたヤニス・バルファキスが書いたベストセラー『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』*2でも全く同様の話が語られていました。機械化を進めていくこと=自分たちの幸福という単純な図式にはならないことに気づく必要があります。
医療は少し特殊な分野
さて、自分が普段働いている医療分野を考えると、ちょっと特殊であるところはあります。「利益を上げることを第一の目的にせよ」とは上司からも言われないですし、勤務医が処方や手術、入院治療による「売上」を常に考えることはありません。
とはいえ、これはあくまでただの勤務医だから経営に関わらないため、というだけで、売り上げのために入院日数を頑張って短くしたり(同時に病床の問題もあります)、入院適応の迷う患者さんを積極的に入院させたり(こちらも空き病床の問題があります)、という話はあります。前者は厚生労働省からインセンティブがかけられていることにもよるので、医療者側がそうしたくて動いているわけではない部分もあるとは思いますが。それでも、患者さんの利益からは大きく逸脱するような資本主義による利益追求の強制力は医師にはかかっていないようにみえます。
ただ、医療行為自体が直接的に影響を受けているようにみえなくても、むしろ隠れている影響は問題です。例えば、薬剤や臨床研究といった点です。製薬会社や医療機器メーカーはもちろん患者さんのためという部分もあるにしても、剰余価値を求めていく必要性があります。そのためには薬剤の売り上げを伸ばす必要があるので、医師との利益相反を起こすことで影響を受ける場合があります。また、剰余価値を求めるという点では商業誌系のジャーナルも同じで、よりインパクトのある・有意差のあるような華やかな論文を掲載すること(いわゆる出版バイアス)が売り上げにはある程度大事で、結果として真に患者さんの利益にならない論文が載せられてしまうこともあります。それをきちんと見抜くには統計の知識が必要でしょう。
また、医療を広い意味でとらえて健康という観点でみると、食事や労働環境といった点も大事です。利潤追求に囚われて、ここが疎かになってしまうと元も子もありません。仕事上、ときどき40-50代の若年で脳梗塞を起こされる患者さんもみるのですが、夜勤のある工場勤務の方が多いです。病院の場所柄というのはあるのでしょうが、不規則な生活に加えて、酒・たばこ、食事内容も問題があることが多いです。職場の健診もあるとは思いますが、企業側がもう一歩踏み込んで労働者の健康管理をしてくれたらな、と思ったりもします。結果だけ見ている立場なので、現場は難しいのでしょうけど。
先日紹介したフードテック革命の本*3の中で触れられていた「人工肉には塩分が多いものもある」というのが個人的にはとても気にかかりましたが、食事に関してもテクノロジーの発展=利潤追求→必ずしも人の幸福に結びつくものではない、という点を忘れないことが必要そうです。
雑感
話が逸れましたが、あまりにも当たり前になりすぎている自分の年代にとって、資本主義を見つめなおすことはどこに問題点があるか気づくためにも、自分の仕事について考え直すためにも役立つように思います。
今回の記事ではだいぶ内容を簡略化してますが、もっときちんとした分析を読みたい方は、かなり読みやすい本なので本書をそのまま読むことをお勧めします。
参考文献:
*1
日本の資本主義の経緯と現状の分析について一歩踏み込んだ内容となっており、こちらを読んでから合わせて読むと分かりやすいように思います。
*2
*3
先日記事を書きました。個人的な意見を言えば日本の外食産業はテクノロジーを活かして減塩を進めてほしいです。
食と健康の未来を垣間見る『フードテック革命 世界700兆円の新産業 「食」の進化と再定義』 – 脳内ライブラリアン
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