通勤中にオーディオブックを聴いているのですが
数年前に買った「サピエンス全史 ユヴァル・ノア・ハラリ著」
にかなりはまりまして
何度か聞きこんだあと、続編「ホモ・デウス」続々編「21 lessons」と
出るたびに即買いしてました。
最近「21 lessons」まで聞き終えたので一度記事にまとめようと思います。
知らない方のために簡単に書くと
筆者は歴史学者なんですが、大局的な視点で
人間の全歴史(何万年も前から)を振り返り
過去の歴史→サピエンス全史
これから予測される人類の展望→ホモ・デウス
現在の課題→21 lessons
に焦点を当てて書かれた作品です。
これが思っていた以上に大きく
今を生きる自分の視点を変えてくれるんです。
あまりにも内容が広範に渡るので魅力はまとめきれないのですが
ざっくりと内容をまとめてみます。
①人類は狩猟採集民であった期間が最も長い
8万年近い間、人類は狩猟採集生活をしていました。
定住せず、必要な木の実や肉を狩って集めていたわけです。
紀元後が2000年ほどしかないことを思うと
この途方もない期間で身体の構造や仲間意識など
行動規範もこの生活に最適化していました。
この考え方は一種のトレンドなのか根拠が明らかになってきたからなのか
他の本でもよくみられます。
例えば「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」
GO WILD 野生の体を取り戻せ! 科学が教えるトレイルラン、低炭水化物食、マインドフルネス
- 作者:ジョンJ.レイティ,リチャード・マニング
- 発売日: 2014/12/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
人間がもともと狩猟採集生活を主体とし
長距離の走行を得意としてきたことから
頭脳を活性化させるためにも運動が有用であることを述べています。
今まで知っていたことから覆されたのは
狩猟採集生活が現代の我々が思うようなひどい生活ではなかった、ということ。
確かにけがや病気のリスク、食事内容や生活の不安定性で
今に劣る面はあります。
しかしながら食事内容は健康的であり
現代の生活習慣病とは無縁で
長時間労働もないので穏やかに家族や仲間と過ごす時間が
十分に得られています。
さらに知的な面においても、天気の動きや植物・動物の知識など
生きることに必要な自分の周りのことについては
周囲の環境が複雑化した現代人よりは遥かによく分かっていただろうと思われます。
これがまず、前提となる話で主には「サピエンス全史 上巻」で
語られます。
②虚構の誕生
虚構って何だ、という話になると思いますが。
本書でいう「虚構」とは
人が大人数で集合して協力する際に必要となるもので
実在はしないけれど人々の信用の間で成立するもの、を指しています。
よく分からないと思うので具体例を挙げます。
代表的なひとつとしては「貨幣」
紙幣なんかは、それ自体は何の価値もない紙きれですが
人類が皆価値のあるものとみなして、信用を勝ち得ているがゆえに
貨幣は「虚構」のひとつとして成立します。
貨幣があるからこそ、多数の人間が価値の概念を共有し
物や人の交流が得られます。
他に本文で最初に挙げられているのは「会社」
会社は実在するものではありません。
つまり、ある会社の建物が壊されても、会社は存続しますし
会社員を根こそぎクビにしても、どこかの企業が買収して
作り直せば会社は存続します。
よって実在はしませんが、法的な手続きで会社を消すことは可能です。
これもすべて人からの信用によって形作られています。
あらゆる文化 や都市、法律、さらには国家も虚構のひとつです。
この虚構ができたことで、数千、数万、数億もの人間が互いに協力し
分業・専門化を進めていくことができるようになりました。
③アルゴリズムによる未来
この「虚構」による協力関係・分業が
今日には世界中に広がっています。
それによって、身の回りのことについてすら
わからないことがほとんどです。
例えば、普段自分が使っている車やパソコンの仕組みを知っているかどうか。
どんな仕組みで動いていて、どう開発され、どこでどう組み立てられているのか。
スーパーで買い物するにしても、その食材はどこでつくられ
どのように運ばれてきているのか。
時に国境を越えて、これらは自分のもとへ届きます。
あまりにも複雑化する中で、ひとつ解答を出してくれるのが
機械学習によるアルゴリズムです。
今でもネット上で自分の興味のある記事や商品が知らないうちに
突き止められ、提示されたり
iphoneが次の動作を予測して提示してくれたりしていますが
これが今後も進んでいくと思われます。
そうなると、提示されたものを使っていけば
自分に合った、好きな情報や商品に囲まれて
生活をしていけるわけです。
これはある種、アルゴリズムによって支配される世界。
まだ完全に実現しているとは言えない以上
何故これがいけないのか、までは本書でも明示できていませんが
それが実現した世界として
オルダス・ハクスリーの「すばらしき新世界」を
例として提示しています。
余談ですが、哲学関係の何かの本でも例示されていて
以前に読んでみたことがあります。
これは1932年に出版されたいわゆるディストピア小説で
機械に支配され、健康と幸福(?)を謳歌する人類と
辺境の地に住む野蛮人を描いた話です。
なぜこの話の世界が居心地が悪く感じるのか。
考えてみることが解の一つになるかもしれません。
「21lessons」で触れられていますが
現代ですら、スマートフォン依存・常にネットにつながる環境によって
思考が常に浸食を受けています。
「虚構」を見抜いて自分で考える、ということは
常に思考に影響を受ける今では、厳密には不可能なことですが
少しでもその努力をするということは
誰にでも求められることかもしれません。
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