命の取捨選択<シアトルの神の委員会の話>

医療資源が限られているときに、どのように分配をするべきなのか。

 

コロナのワクチンをめぐって先日こんなニュースがありました。

www3.nhk.or.jp

 

いよいよ現実化してきているCOVID-19のワクチンの公平な分配に向けて各国協力体制に入っている様子。アメリカはここには参加していないようです。そもそも自国での開発が最も盛んで、”自国ファースト”を今まで掲げていることからは、まあそうだろうな、とは思います。

 

こうした限られた医療資源に関して、どう使うかというのは難しい話です。最近読んだ本『入門・医療倫理1』*1「シアトルの神の委員会」という興味深い逸話があったので、紹介しつつ、医療資源の分配と功利主義に関しての話を書きます。この逸話については「え、つい50年前にそんなことされてたの!」と驚きました。

 

目次:

 

シアトルの神の委員会

舞台は1960年代のアメリカ、シアトル。B.スクリブナーという医師が慢性腎不全患者に使う人工血管シャントを開発し、人工透析という手段を創り出しました。当時のアメリカでも透析の必要な慢性腎不全患者は数万人にわたり(現在の日本では約33万人)、需要は大量にあったわけです。

 

ただ、透析というのは機械とそれを管理できる人をもつ専門の施設でないとできません。その黎明期に施設が十分あったかと言えば、当然足りない。腎不全患者というのは透析ができなければ数日~数週間には亡くなってしまいます。

 

そこで、シアトルではどうしたか。まず、医学的見地から候補者を選び、それでもまだ受け入れしきれない数の候補者を、公平を期すために外部の委員会を作って選抜しました。それが「シアトルの神の委員会」です。聖職者、弁護士、主婦、労働組合の幹部、州の役人、銀行員、外科医の7人の会議によって誰を優先するかを決定していたのです。

 

候補者らの家族情報や職業情報が与えられ、それをもとに会議していたようで、その一部を抜粋してみます。生々しい会話です。

 

弁護士:まもなく透析センターでもう2名分の空きが出るそうです。医師たちにもらった5名の候補者リストから2名を選ばなければなりません。

主婦:彼らの病状はみな等しいのですか。

マレー医師:(透析センター長、医学的な助言を与えるためにオブザーバーとして委員会に参加している)。1番と5番の患者はあと2週間くらいしかもちません。あとの3人はおそらくもう少し大丈夫でしょう。しかし、別の医療施設が利用可能になるまで待つ人は誰もいないので、選択にあたってこの5名は等しく緊急なものとみなされるべきです。

(中略)

州の役人:しかし、航空整備士が職場復帰できるというのは確かなんですか。彼はすでに具合が悪すぎて働けないように思います。それに比べると2番の薬剤師と5番の会計士はともにまだ働くことができます。

労組幹部:この男性が働く航空会社は、障害を持つ労働者を職場復帰させるためにあらゆることを行う会社であることを私はよく知っています。

主婦:社会に貢献する可能性が最も高い人々は誰かということを考えるなら、薬剤師と会計士が5名の候補者の中で最も優れた教育を受けていることを考慮しなければなりません。

(中略)

銀行家:薬剤師と会計士は経済的な理由から除外してもいいかもしれません。二人とも相当の資産を持っていますから。

弁護士:二人とも死んだときに家族が社会の重荷になることがないよう準備できています。

州の役人:しかしそれだと、おそらく最も思慮深い人々に罰を与えることになるんじゃないですか。

(赤林朗ら著『入門・医療倫理1』より引用)

 

1時間半の会議を経て、最終的には小規模な会社の経営者と航空整備士が透析を受ける決定がなされました。

 

本人たちはいたって真面目に行っていることは感じられますが、直観的にはこの会議には違和感を感じますよね。全然関係ないですが、デスノートのヨツバ編の会議を思い出してしまいました。

 

ここでは、あくまでそれぞれの経験から形成された価値観に沿った根拠をもとに、命の選択がなされていきます。それがやはり違和感を感じる根本的な原因でしょう。

 

結局この会議はメディアに透析の必要性を訴えようとした経緯で明るみになり、批判を受けました。批判の矛先は資金をベトナム戦争や宇宙計画に振り向ける政府へと向かい、最終的には政府が資金を捻出することで、透析施設の不足は解決へと向かいました。

 

シアトルの神の委員会は、社会的な有用性をもとにした功利主義によって資源の分配を判断している例だと思います。そこで、医療に対して功利主義が使われる例を他にもみてみます。

 

功利主義的な医療資源の分配

社会全体の効用(要はどの程度利益があるか)をもとに考えるのが功利主義です。他に医療で功利主義がみられるものの例として「トリアージ」「QALY」「DALY」の考え方も挙げられると思います。

 

「トリアージ」は救急医療の現場(特に災害医療)で実際になされますが、時間や人員、薬剤など医療資源の制限があるうえで、どの患者が救えるかを考えて優先順位を決める方法です。助かる可能性が低い患者に蘇生処置を行うことは、回復する見込みが低いにも関わらずかなりの医療資源を要します。また、時間をおいても大きく問題のない軽症者の手当てに時間を割くことも、医療資源の浪費につながります。このように「最も多くの患者が生存できるようにする」=効用として行われるのがトリアージとなります。

 

「QALY(質調整生存年数)」や「DALY(障害調整生命年)」は、それぞれ生活の質(DALYは障害の程度)×その状態で生きていく年数を掛け算で出した指標です。

 

どういうことかと言えば、完全な状態で生きていく1年をそれぞれ1QALYや1DALYとします。質が通常の半分程度まで下がった場合、0.5QALYや0.5DALYとして考えて、計算を行います。

 

いずれも実際に使用される指標で、治療薬の効果や病気の負担がどの程度かを数値を用いて表すことができます。例えばDALYについて、50歳で脳梗塞を起こした人が半身まひになり、障害の度合いが完全な人と比べて0.2程度になってしまい、その後20年ほど生きた場合を考えると

0.2×20=4DALYs

となります。もともと障害なく20年生きられたとしたら、脳梗塞と言う疾病によって、16DALYsの損失となります。こんな感じに計算されるわけです。(wikipediaも参照)

質調整生存年 – Wikipedia

障害調整生命年 – Wikipedia

 

実際、イギリスの政府機関では薬剤などの医療の効果をQALYを用いて評価しています。さすがは功利主義の発祥の地ですね。経済的な指標の評価としては公的な分野で幅広く応用されています。*2

 

また、DALYについてはGlobal Burden of Diseaseという世界的な研究によってまとめられています。日本も含めたほとんどの世界各国のデータを集め、どの疾患がどれぐらいの負担を与えているかDALYで表しています。

Global Burden of Disease (GBD) | Institute for Health Metrics and Evaluation

 

1990年にWorld Bankが始めたものでしたが、のちにWHO, 上記リンクのIHME(ワシントン大学の研究機関)が中心となって行われています。主要な医療ジャーナルであるLancet誌に結果は載せられていますので、興味がある人は調べてみても良いかもしれないです。*3

 

こうして数値化をしてみると、主観的な印象と客観的なデータの違いというのが浮き彫りになります。初回研究では精神疾患と交通事故が思っていた以上に影響が大きかったことが明らかとなったため国としての方策も重視されるようになりました。

 

このように功利主義は数値化での客観性や取扱いやすさで利点があります。さらに「各人を一人として数え、誰もそれ以上として数えない」という功利主義の祖ベンサムの考えが生きており、ある種の平等性がそこにはあるようにみえます。

 

功利主義的な医療資源分配の問題点

ただ、問題点が2つあります。まずは個人の単位でみたときです。

 

「トリアージ」にしてみたときに、目の前で倒れていて助かる見込みが低いと判断され、治療されないのが自分の家族だったらどうか。

 

また「QALY」や「DALY」の例で考えると、自分の子どもが治療薬が高価だが、あまり良くならない疾患だった場合に、もっと治療が安価で良くなる疾患が優先されてしまいますが、その状況に納得できるでしょうか。

 

シアトルの神の委員会に違和感を感じたのも、こうした個人の事例で考えた際に生じやすいものだと思います。

 

もう一つは効用の測り方の問題です。

 

「QALY」や「DALY」で考えると、治療対効果は高齢者の場合はどうしても若年者に比べ劣ります。

 

例えば、片頭痛という病気の例でいくと、大部分は若年者ですが、生活の質や障害という意味での影響は寿命がまだ長い分、長期的に続きます。一方、高齢者が脳梗塞で倒れたときは障害は大きいものの、寿命から考えるとその年数としては短いので、ある意味この二者は同じ程度の「QALY」や「DALY」の損失と言えます。

 

…ですが、本当にそれを同じものとして扱ってよいかどうか。直観的にはこれも違和感を感じると思います。

 

また、「QALY」「DALY」の測り方が、健常者もしくは患者への多数アンケートによる推定で疾患による障害を点数化しているため、それを絶対の指標として良いかは議論の余地があります。

 

立ち戻ってコロナワクチンの話

*1の本では他に、自由平等主義、完全自由主義などが紹介されています。簡単に書いてみると、自由平等主義はロールズに代表される考え方で、社会効用ではなく「無知のヴェール」(自分の年齢・性別・職業など、自分がどの立場にいるかは分からないと仮定して、その上で条件を考える)に基づいた分配を考える方法です。完全自由主義は市場経済の動きに任せて決めていく方法です。

 

最初のコロナワクチンの話に戻りますと、恐らくは高齢者と医療従事者が優先されてうっていく予定だと思いますが、これは重症化しやすい高齢者と感染リスクの高い医療従事者への費用対効果と医療崩壊を防ぐための功利主義的な発想です。その後は抽選となるのか、職業的に人と接触の多い職が優先されるのか分かりませんが、最終的な部分はある程度の自由平等主義に基づくのでしょう。

 

(※2020/9/5追記:ワクチンの分配と国内・米国各製薬会社の臨床試験の状況をまとめた素晴らしい記事がありました↓)

WEB特集 ワクチンは、あなたに届くか? | 新型コロナウイルス | NHKニュース

 

功利主義は皆が本当に納得できるものであれば良いのですが、客観的な指標を振りかざすことで、さも正しいかのような顔をする時もあります。実際にはワクチンの例のように様々な主義を組み合わせて使うことが通常です。功利主義の利点と問題点を自覚し、どこでどう組み合わせるべきかを考えることがこうした資源が限られるシチュエーションで役立つように思います。

 

参考文献:

*1

見た目から教科書的な本かと思いきや、現在の主要な医療倫理の項目を分かりやすく、簡潔にまとめてあります。上述のシアトルの神の委員会の話など、興味深い逸話も多くあるので、医療倫理に興味を持っている人にはお勧めです。シリーズものですがⅡも買ってしまいました。

*2

薬価の決まり方とその経済学的な影響を色んな視点から書いた本。超高額な薬価の薬が一体どうやって決まってくるのか気になったりしたので買いました。チャプターの中には各国の比較などもあります。

*3

Global, regional, and national burden of neurological disorders, 1990–2016: a systematic analysis for the Global Burden of Disease Studyh 

Lancet誌のGlobal Burden of diseaseの神経内科領域版の論文です。うれしいことにopen access。1990-2016年のデータベースがまとめられてます。日本はそれほどですが、片頭痛ってなんでそんな分子標的薬まで使ったりしてるんだろうと思ったのですが、米国は影響が結構大きいんだな、というのが分かりました。発展途上国では髄膜炎がまだまだ問題であったり、、、世界の様相が大まかに見えます。

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