今日はこちらの本の紹介をします。『フードテック革命 世界700兆円の新産業 「食」の進化と再定義』です。
「植物肉&培養肉」「キッチンOS家電」「ゴーストキッチン」「食のパーソナライゼーション」などなど表紙にはまだ聞きなじみのない単語が並んでいます。食に関わる形態は外食産業だけでなく、家での調理に至るまで 徐々に変化しつつあります。食と健康は切っては切り離せない関係にありますが、神経内科医が関わる脳梗塞や認知症も食事を含めた多因子を原因とした疾患であることが分かってきており、無関係ではありません。そんなわけで、今後の食についてはどうなっていくのか、健康という視点を中心に紹介してみます。
目次:
食の市場規模と健康被害による経済損失
まず本書の冒頭で紹介されているのは食に関わる産業の世界の規模とそれぞれのコストです。これはFOLU(FOod and Land Use coalition)という国際的な食糧と土地利用を扱うNGO団体が出した指標ですが、世界の食料システムの市場価値が10兆ドル、それに対して健康にかかるコストが6兆6000億ドル、環境にかかるコスト(気候変動)が3兆1000億ドル、経済にかかるコスト(フードロスなど)が2兆1000億ドルとされています。額が大きすぎて良く分からなくなりますが、つまり、1兆9000億ドルの赤字なんです。
で、健康にかかるコストの内訳としては、肥満によるコストが2兆7000億ドル、低栄養によるコストが1兆8000憶ドル、その他、農薬、抗微生物耐性からもたらされる健康被害が2兆1000億ドル、とされています。ちなみに、低栄養というのは安価なものでカロリーばかり摂取して栄養のバランスが崩れている場合も含まれています。
肥満によるコストが低栄養によるコストをはるかに超えている、というのは着目すべき点で、『ホモ・デウス』でもユヴァル・ノア・ハラリが指摘していましたね。*1
あくまで世界規模でみた場合の試算ですので、日本にこの縮尺が当てはまるようには思いませんが、食事による健康被害はこれだけ膨大な数字であることが良く分かります。
それにもかかわらず、同書で紹介されている日本人の食に求める価値や料理に求める価値のアンケートを見ていくと、「健康」に関しての意識は決して高くないように感じます。
最近たまたま読んだ台湾のベジタリアンとそうでない人を比べたコホート研究*2でも脳卒中の予防効果がそれなりに認められており(まあ、もちろんベジタリアンの方が食事以外でも健康に気は遣っていると思いますが)、食事が健康に与える影響の大きさを実感していたのですが、病気をする年齢でないと意識しないのかもしれません。本来正しい食事と健康を意識すべき医師ですら、自分の周りの若手を考えると、朝は菓子パンばかり食べている人がいたり、必ずしも食事に対してきちんとしていないように思います。
医学部教育も国家試験もどうしても疾患分類や診断・検査・治療といった内容に偏るので、予防医学的な観点における食教育なんてのはウェイトが軽すぎる気がしますね。
代替プロテインと人口増加
肥満の問題とは少し異なる点でまた切実なのは人口増加に対して必要なタンパク量の確保の問題です。世界人口は今後増加し、国際連合の予測では2050年には97億人に達するようです。そこで、必要となる栄養素のうち問題なのはタンパク質。牛、豚、鳥、といった家畜によるところが現在多いわけですが、その環境への負担は植物に比べて尋常でなく大きいんです。
地球上で暮らす人間全体では、1日に水200億リットル、食料10億トンを消費する。それに対して地球上にいる家畜としての牛15億頭は、1日に1700億リットルの水、600億トンの食料が必要となる。これだけの食料と水を生み出すには、広大な土地が必要だ。
(『フードテック革命 世界700兆円の新産業 「食」の進化と再定義』より引用)
「牛のほうが水も食料も人より多いんかい!」と思わずツッコミました。牛は地球上に15億頭もいるようなので、あの体の大きさと数を冷静に考えれば当然かもしれません。
以下の図は栄養疫学関連の別の本*3で使用されていた文献*4ですが、土地の利用に関しての報告をいくつかまとめて、そのデータの範囲を示したものです。
(文献*4より引用)
縦軸が牛、豚、鳥などのそれぞれのカテゴリで、上二つが、牛の放牧と集約的な飼育ですね。横軸が1kgのタンパク質を生み出すのに必要な面積量です。
幅はありますが、これをみると植物性タンパク(下から二つ目)に対して、いかに牛肉では必要な土地面積が多いのかが分かります。土地、水、食料における負担は膨大で、人口増加していった際にこの負担がさらに増えることは何としても避けたいことが感じられます。
そこで、話題となってくるのが、代替プロテインと呼ばれる技術です。本書では以下のものが取り上げられています。
①植物性プロテイン・・・豆、ナッツ、野菜や果物、種子などから作り出されるもの。
②マイコプロテイン・・・糸状菌を培養し、加工したもの。菌と聞くとなにやらヤバそうなイメージですが、意外と普通っぽい見た目?
③昆虫食・・・昆虫は飼育も簡単で、大量に増えるので、人口増加の時代には適しているようですね。無印食品が少し前に「コオロギせんべい」を出して話題になってました。企業が率先してこういう姿勢を示すことは大事だと思います。個人的には虫そのものは避けたいです・・・。
④培養肉・・・細胞を培養して肉を製造します。コストが今のところの問題でしょうか。2013年時点では牛の肝細胞を使った培養肉ハンバーガーは1個3500万円だったそうです。いまやかなり価格は下がってきており、実用段階に近づいてはいるようです。
⑤微生物・発酵・・・微生物による発酵でプロテインを生み出すようです。これもまだ発展途上といったところかもしれません。
さて、健康と言う観点でいくと、飽和脂肪酸を豊富に含む動物性のタンパク質(牛肉・鶏肉・豚肉)が減るのは良い方向性なのかもしれませんが、これらの新しい蛋白源が健康の面でどうなのかは気になるところです。③の昆虫食はすでに人類に取り入れられているものといえますが、①②④⑤はどうなのかまだ未知なところです。ソースが不明なのでどこまでの種類の植物性代替肉が含まれるか分からないのですが、本書内では「植物性代替肉は塩分が8倍に跳ね上がる」ということも指摘されており、ただでさえ塩分摂取が問題な日本人がそんなもの食べたら、確実にとんでもないことになりますね。「代替プロテイン=健康と環境に良い!」という単純な図式ではなく、その中身や安全性はよくよく吟味する必要がありそうです。
Personalized Nurtritionの実現は遠いか
あと個人的に気になる分野はPersonalized nutritionとされる、個人に合わせた栄養管理の話ですね。普段の採血・尿検査や遺伝子解析のデータからその個人に合わせた適切な栄養バランスをとれるようにするサービスというのが盛り上がってきているようです。日本では制約が多く実際行うには難しいのかなと思います。
でも、こうした普段からの栄養管理が本来医療については重要ですし、率先して取り組むべき課題だとは思うんですね。
本の中には注目人物としてシェフドクターなる人の話が出てきます。
そして、3人目がロバート・グラハム氏だ。彼はハーバード大学公衆衛生大学院で、公衆衛生学の修士号を取得後、医師として病院勤務を始めた。そこで気が付いたことが2つ。1つは糖尿病のような生活習慣病は薬を処方しても治ることはなく、日頃の食事が変わらなければ患者の体調は良くならないこと。もう1つは、医者が食や料理について全く無知であるということだった。(『フードテック革命 世界700兆円の新産業 「食」の進化と再定義』より引用)
この2点は本当にその通りだと思いました。神経内科でみる脳梗塞の患者さんは多くが生活習慣病を持ってますが、いずれも根本的に治すには生活習慣しかありませんし、それは治そうとするには既に遅すぎることも多いです。そして、栄養士さんに栄養指導をお願いしつつ、自分には十分な知識がないことにも気づきます。これもまた自分で勉強していくしかないですね。
データに合わせて機械が管理してくれたら、勉強して患者さんに教えることもないのかもしれませんが、こうした栄養に関しての疫学や疾患発症の予測、さらにそれを遺伝子解析などと合わせて解釈する、なんていうのはまだ十分なデータがあるとは到底言えず、実際のところは難しそうです。データの助けは借りつつも、まだまだ人間がやらなければいけない分野なのでしょう。
personalizedされるのは何も健康的な栄養管理といった話だけではなく、その人に合わせた食事形態なんかも個別化が大事です。中でも目を惹かれたのが「デリソフター」という調理器具。
嚥下障害のある患者さんはゼリー状のものやどろどろの食事がどうしても多くなってくるので、「見た目的に食欲出ない」と言われたり、「家だとレパートリーが増やしにくくて、カレーとか煮物ばかりになっちゃう」と言われる人もいます。この「デリソフター」は見た目を変えずに柔らかくする、ということで、興味をそそられますね。実際にみてみないとオススメするまでは難しいですが、、、。
まとめ
フードテック革命というと何やら急激な変化を示唆する感じですが、食事は健康に直結する問題である以上、変化をしたら適切に調査・フィードバックをして問題点を点検していく必要がありそうです。
以前の記事(「老い」に対しての考え方を変える『LIFE SPAN(ライフスパン):老いなき世界』 – 脳内ライブラリアン)でも書きましたが、今や感染症などのcommunicable diseaseではなく生活習慣病を主体としたnon-communicable diseaseが医療の問題の主体です。
生活習慣病と密接な関係のある食習慣や食事関連の技術の変化にも目を配っていきたいところです。
参考文献:
*1
*2 Chiu, Tina HT, et al. “Vegetarian diet and incidence of total, ischemic, and hemorrhagic stroke in 2 cohorts in Taiwan.” Neurology 94.11 (2020): e1112-e1121.
*3
*4 Nijdam, Durk, Trudy Rood, and Henk Westhoek. “The price of protein: Review of land use and carbon footprints from life cycle assessments of animal food products and their substitutes.” Food policy 37.6 (2012): 760-770.
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