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仮説は仮説として扱え『アルツハイマー病研究 失敗の構造』

今回紹介したいのはこちらの一冊です。

アルツハイマー病研究において長年主流となってきた「アミロイドカスケード仮説」。それに対して当のアルツハイマー病研究者が真っ向から痛烈な批判を浴びせています。

この本の何がセンセーショナルかと言えば、つい最近日本でも承認されたアルツハイマー病の治療薬と銘打たれている薬剤(レカネマブなど)はすべてこのアミロイドカスケード仮説を大前提としているからです。それが根本的に間違っているというなら与える影響は甚大でしょう。

基礎研究から臨床研究、そして製薬までには通常長い長い過程があります。本書ではなぜ長い過程でなぜ失敗が起きてしまったのかを詳細に、かつ一般にも分かるように解説されています。関係してきた人は数多く、幅広い層で学べることがあると思います。

・脳神経内科医など認知症診療に携わる人
・医学への応用につながる基礎研究をされている人
・企業など製薬関係の人

あたりの方に個人的におススメしたいです。

この記事では本書の概要と脳神経内科医の視点からの評価を紹介していきたいと思います。

本書の概要と著者

本書は主に①アミロイドβを病気の原因とするアミロイドカスケード仮説への反対、②アミロイドβを基準としたアルツハイマー病の定義に反対を表明している本です。これらになぜ反対しているかをアルツハイマー病の成り立ちまで遡って、様々な視点で描いていきます。

まず、第1章〜第4章では市民、医師、科学者とそれぞれの視点からのアルツハイマー病の歴史を振り返ります。

そして第5章でアミロイド仮説以外のモデルがどのように排除されていったかを詳しく見ていきます。

さらに第6章では経済的な関わりとして国、製薬・バイオ産業がどう関わっていったかを描写していきます。

続いて第9章では改めてアルツハイマー病の定義に戻り、その定義の難しさを再確認します。それ以降の章では、反省を踏まえた今後のあり方について著者の持論を展開していきます。

著者であるKarl Herrup教授は現在香港の大学で神経細胞死やそれに関連した細胞周期についての研究をされているようで、本書の内容をみるとアルツハイマー病についても自身の研究に絡んだ仮説も出てきます。そういう意味では自説を推したいというバイアスは差し引いて読んだほうが良いですが、それでも昨今の治療薬開発の状況を鑑みると一考に値する内容であると思います。

続いて内容に触れながら、一神経内科医の視点で「そもそもアミロイドカスケード仮説は失敗なのか?」「なぜ失敗したのか」「そこから学ぶ教訓」の順に述べていきたいと思います。

感想

そもそもアミロイドカスケード仮説は失敗なのか

日本語版のタイトルには「失敗の構造」とあるのですが、そもそも一般的には新規の薬剤が承認されている状況から「失敗」と捉えにくいかもしれません。

アミロイドβの蓄積のみがアルツハイマー病の原因である、という意味で考えた場合、間違いなく失敗であると私は思っています。

先日日本でも承認されたアミロイドカスケード仮説に基づく新薬、レカネマブをみてみるとそのことが明確になります。

早期アルツハイマー病とされた人に対してレカネマブとプラセボをランダムに投与した第3相試験をみてみます(1)。その効果の程度は18か月のフォロー期間において認知機能低下による影響をみたスケール(記憶力、見当識、介護状況など)が、レカネマブ群で1.21点低下したのに対し、プラセボ群では1.66点低下したというものでした。また、アミロイドβはプラセボに比べ使用者群で明らかに減少しています。

この0.45点という差がそもそも臨床的に意味がある(つまり家族や本人が効果を自覚でき、介護負担が軽減される)ものなのかどうかというのも疑問ですが、本書での批判点と合致しているのはアミロイドβの除去ができているにも関わらず、レカネマブ群でも症状が悪化はしているという点です(2)。アミロイドβが原因なのであれば、それが除去できていれば症状の進行は止まってくれても良いはずなのです。進行が遅れているという点で言えば、アミロイドβは何らかの関連は示しているのでしょうし、全く関係ないわけではないと思っていますが、それが全てではないのでしょう。

しかし、ここまで厳格に行われたランダム化比較試験において、進行を止められなかった結果が出ているのは、アミロイドカスケード仮説単独での失敗を示していると思います。

加えて、ここに来るまでにアミロイドβを対象とした臨床試験がどれだけ失敗してきたかをみると仮説の失敗は強固になるといえます。アデュカヌマブ、バピネウズマブ、ガンテネルマブ、ソラネズマブといずれもアミロイドβを標的とした抗体医薬ですが、どれも第3相試験で失敗しています。

アミロイドカスケード仮説が生き残る方法として「アミロイドβが蓄積し始める頃には既に症状は不可逆的となっており、より早く開始したらよいのではないか」という考えもあり、対象集団をより早期の層とする臨床試験もあります。実際レカネマブは早期アルツハイマー病を対象としています。第3相試験で対象となっている患者さんはMMSEという臨床でよく使われる認知機能スケールの平均で25-26点ですので、普段外来診療でみるような方としては本当にごく早期で、認知症とはまだ言えないようなレベルの方々です。アミロイドβの蓄積のみを根拠として治療介入しているわけです。

それだけ早期の人を用いても上記の結果であり、正直これ以上早期の人というのを病気と定義して薬剤を使うのはもはや倫理的に問題が生じるレベルと言えるので、おそらく今以上に時間をさかのぼって薬剤を投与するのは不可能に近いでしょう。これらの薬剤ではARIA(アミロイド関連画像異常)と呼ばれる危険性が未知の脳病変が生じており、経過が確実に予測できない無症状の人に投与するような代物ではありません。

そう考えるとやはりアミロイドカスケード仮説は第3相試験という厳格な手段において失敗を突き付けられているとしか思えません。では、なぜそうなったのかという話です。

アルツハイマー病の定義の問題

本書ではまず初めにアルツハイマー病と呼ばれる病気の多様性を指摘しています。この多様性あるいは曖昧さを十分吟味されないモデルで話が進んでいったことこそが失敗の根幹なのではないかと個人的には思っています(筆者の主張もある程度そうかもしれません)。というのも、多様で曖昧であった病気が、アミロイドカスケード仮説を基にした定義一色に塗り替えられ、その結果として臨床研究が進み、現在の失敗へとつながったからです。

実際、認知症の方を診療していてアルツハイマー病と診断せざるを得ないことはあるのですが、いつも曖昧さは拭えません。もちろん記憶力が低下しており、緩徐な経過で進むという点はある程度合致するのですが、人によっては「検査なんてしません!」と診察室で怒り出す方もいれば、逆にぼんやりとにこにこしておられる方もいたり、幻聴に悩まされる方もいれば、意外と数年大きく進行せず過ごされている方もいます。

検査によって他の疾患の除外は慎重に行いますが、アルツハイマー病を示唆しているといえる検査は現状日本ではあまりありません。画像検査やSPECTもありますが、これらはあくまで補助的です。アミロイドPETや髄液検査でのバイオマーカーも今後導入されるでしょうが、こういった検査を含めても「あくまで臨床所見を基本とする」のが診断基準のスタンスです(3,4)。

臨床症状が多様であっても、病気の人の脳組織を観察し、その特徴を病理学がうまくまとめることができれば、疾患が画一的に定義できることがあります。ただ、これも難しいようです。

脳は腫瘍などの疾患でなければ生きた状態で組織を採取して確認することはないので、基本的に亡くなった方の解剖で病理所見を確認します。アルツハイマー病のような慢性的に神経が変性する疾患において難しいのは、亡くなったときにみられるアミロイドβの沈着が結果なのか、原因なのかがわからないという点です。

このような状況でアミロイドβのバイオマーカーが認められる軽度認知機能低下の方を早期アルツハイマー病の定義とした診断基準が本書によって批判されています(5)。この診断基準の論文とその引用文献をみると、アミロイドβは確かにアルツハイマー病と臨床診断される例で多い傾向はありそうですが、そうでない高齢健常者でも沈着があり、しっかりと相関した完全なバイオマーカーと言うことはなかなか難しそうです。やはりアミロイドβの一つの基準だけで取りまとめようとする行為にかなり無理があるのではないでしょうか。

一つの単純な仮説では現象を説明できない場合、科学的な思考が取りうる道は①例外を説明できるような複合的な仮説を組み立てていくか、②主たる仮説をとっかえるか、などだと思うのですが、悲しいことにアミロイドカスケード仮説では、強大な推進力ゆえにそういったことが起きなかったようです。本書では定義の問題に続いて、複数の視点からこの仮説を推進されていった過程が描かれます。

強大すぎた仮説の推進力

本書の第5章では、遺伝学の発展とそれに合わせて破竹の勢いで進むアミロイドカスケード仮説が描かれています。「あれ?仮説のサクセスストーリーを読んでいるんだっけ?」と錯覚するほどの見事な内容です。個々の内容は正しいですし、論理的にもそうおかしなことはありません。この辺りの詳細な描写は当時から現役であったアルツハイマー病研究者ならではのもので、実にリアルな雰囲気を感じ取れます。

研究技術の発展だけでなく、アルツハイマー病を加齢と結びつけることで研究資金の獲得が進んでいく様子など、国の問題も併せて指摘されています。

また、こうした批判で矢面に立つことが多い製薬企業については、仮説の促進への積極的な関与というより失敗を見抜けなかった無能さを指摘しています。経済的な観点からは成功にシビアであるはずの企業がある程度のネガティブデータが積み上がっているのになぜ止まらなかったのか。本書では「頑なさ、強欲さ、そして誤った助言」が挙げられていますが、あまり具体的なエピソードには触れられません(企業の方が誰もそんなことを語らないからでしょう)。臨床応用というタイミングまで他の仮説を寄せ付けず進んでしまった時点で、もう誰も止められなかったのかもしれません。

これら複数の視点からのエピソードをみていくと、資金や技術面で勢いのついた仮説がさらに一般化されて疾患定義を広げ、それによって影響が大きくなり、さらに資金面で勢いがつく、というえげつない正のフィードバックがかかっているようにも見えます。

失敗の構造を明らかにするため、科学の発展とビジネス、政治の複雑な相互作用が確かな筆致で描かれており、この本ならではの素晴らしさがあると思います。

途中恨み節のごとく「アミロイドβ仮説でなければ研究資金は出せません」と著者が自説を突っぱねられた話が出てきますが、そのバイアスを考慮しても幅広い視点からの考察は価値が高いと思います。

本書からの教訓

単純な仮説やモデルは問題解決において楽で魅力的な方法です。しかも問題が大規模で解決策にたどり着けるような仮説となると強烈な推進力も生まれます。しかし本来例外をきちんと観察し、仮説で説明できない部分をみつけることが重要で、それはいかに研究が発展した後の段階であっても考え直す必要が常にあります。本書のなかで以下のような一節があります。

科学文献の中には誤謬と予断をたっぷり隠しもった言葉が登場するが、その最たるものが「よく知られている」である。この八文字で文章を終えたときには、その前の発言について裏づけ情報を明示するつもりがないことを読者に告げている。(「アルツハイマー病研究 失敗の構造」p.88より)

英語版では“well known”なのかな、と思っていますが、実際、論文でも仮説がいつの間にやら当たり前かのようになってしまっていることは溢れています。

例えば、アミロイドβと同様に神経変性疾患で蓄積がみられるタンパクとしてタウがあります。自分の大学院での研究もこのタンパクが絡んでくるので他人事ではないのですが、タウも神経変性の原因として疑われ、タウに対する抗体医薬もいくつか臨床試験がなされています。そして、こちらについても失敗が続いています。どこが間違っていたかをきちんと捉え、根っこの仮説からひっくり返して調べることが本来必要な姿勢だと思います。

あまりにも積み重なった仮説の中で強力な推進力に反して前提をひっくり返すのは容易ではありませんが、本書は仮説の根本を考える重要性・必要性を忘れないための教訓となってくれることでしょう。

引用文献

(1)van Dyck CH, Swanson CJ, Aisen P, Bateman RJ, Chen C, Gee M, Kanekiyo M, Li D, Reyderman L, Cohen S, Froelich L, Katayama S, Sabbagh M, Vellas B, Watson D, Dhadda S, Irizarry M, Kramer LD, Iwatsubo T. Lecanemab in Early Alzheimer’s Disease. N Engl J Med. 2023 Jan 5;388(1):9-21. doi: 10.1056/NEJMoa2212948. Epub 2022 Nov 29. PMID: 36449413.

(2)Molchan, Susan, and Adriane Fugh-Berman. 2023. “Are New Alzheimer Drugs Better than Older Drugs?” JAMA Internal Medicine, July. https://doi.org/10.1001/jamainternmed.2023.3061.
→新規の抗体医薬とこれまでの薬剤(ドネペジルなど)を比較したviewpointです。直接比較は当然できませんが、「明らかに大きな差があるというほどでもない」という意見です。

(3)McKhann GM, Knopman DS, Chertkow H, Hyman BT, Jack CR Jr, Kawas CH, Klunk WE, Koroshetz WJ, Manly JJ, Mayeux R, Mohs RC, Morris JC, Rossor MN, Scheltens P, Carrillo MC, Thies B, Weintraub S, Phelps CH. The diagnosis of dementia due to Alzheimer’s disease: recommendations from the National Institute on Aging-Alzheimer’s Association workgroups on diagnostic guidelines for Alzheimer’s disease. Alzheimers Dement. 2011 May;7(3):263-9. doi: 10.1016/j.jalz.2011.03.005. Epub 2011 Apr 21. PMID: 21514250; PMCID: PMC3312024.

(4)『アミロイドPETイメージング剤の適正使用ガイドライン(改訂第3版)』
https://www.neurology-jp.org/guidelinem/pdf/syounin_01.pdf
→日本神経学会から出ており、分子標的薬を見据えた適正使用について説明されています。上述のように高齢健常者ではアミロイドPETが陽性になりうることも記載されています。

(5)Sperling, Reisa A., Paul S. Aisen, Laurel A. Beckett, David A. Bennett, Suzanne Craft, Anne M. Fagan, Takeshi Iwatsubo, et al. 2011. “Toward Defining the Preclinical Stages of Alzheimer’s Disease: Recommendations from the National Institute on Aging-Alzheimer’s Association Workgroups on Diagnostic Guidelines for Alzheimer’s Disease.” Alzheimer’s & Dementia: The Journal of the Alzheimer’s Association 7 (3): 280–92.

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