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【生きる目的が分からなくなってしまった人へ】フリードリヒ・ニーチェの思想②

今回の記事ではニーチェの思想にとって大事な、どんな人であったかを振り返ってみます。

 

前回記事はこちら

【生きる目的が分からなくなってしまった人へ】フリードリヒ・ニーチェの思想① – 脳内ライブラリアン

 

目次:

 

  

 

ニーチェ誕生

1844年、当時のプロイセン・ドイツのレッケンという小さな町にニーチェは生まれます。

 

ちなみに1848年にフランス2月革命の影響を受けてベルリン3月革命が勃発。1862年に鉄血宰相ビスマルクによってドイツの統一が行われていく、そんな時代です。ニーチェは社会とあまり関わりをもっていかないので、そこまで歴史的な出来事とは直接的な関連はありません。

 

前回紹介した フッサールは1859年生まれなので、ニーチェよりは少し年下です。

 

ニーチェの父親はプロテスタントの牧師で、両親ともに代々牧師でした。その出自にも関わらず、のちにキリスト教批判を行っていくニーチェですが、これは理解できないわけではないです。

 

例えば「虐待」を受けた子どもが自分の子どもに必ず「虐待」をするとは限りませんが、「虐待」について賛成なり反対なり何かしらの考えは持つことが多いと思います。同様に、自分の親の状態に対して、賛成にせよ反対にせよ何かの意見が芽生えるわけです。

 

また、家は父方の祖母、二人の叔母、母親、妹と女系の家族であり、10歳ごろからは詩を作ったり、讃美歌を歌ったり、作曲までしていたそうです。大人になったら凄いモテそうですね。

 

若き日のニーチェ

この頃は確実にエリートコースを歩みます。

 

1864年、20歳のころにボン大学に入学します。母親の勧めもあって神学、そして古典文献学(ギリシア・ローマ時代の古典を学ぶ学問)を専攻します。その後、ニーチェを評価してくれていた古典文献学の教授である、リッチュル教授が異動になるので、それを追うようにライプツィヒ大学へ。

 

実はここで既にニーチェの少し暗い影が見えています。何だかあんまりボン大学の大学生活がうまくいってなかったようです。「酒やたばこをやりながら、騒いでいる皆をちょっとぽつんと離れたところで無口でみている自分がいる」。そんな様子を『この人を見よ』という後期の自伝で語っています。要は今でいうボッチだったのかもしれません。

 

ただ、学術的にはその後も順風満帆です。1867年、23歳で書いた論文が大学の懸賞論文に当選。リッチュル教授の熱い推薦を受けて、1869年、25歳の若さでスイスのバーゼル大学の教授となります。

 

これはもうスーパーエリートコースです。

 

この頃ニーチェは音楽家であるワーグナーとショーペンハウアーの哲学にハマるようになります。

 

病気のために大学を辞職

もともと頭痛の発作がひどかった(現在でいう片頭痛?)ニーチェはその病気に苦しみ、32歳で教授の職を辞めることになります。その後保養地として各国を渡り歩きながら著作を生み出していきます。『人間的な、あまりに人間的な』『悦ばしき知識』など少しずつニーチェらしい思想が生み出されていきます。

 

1881年、37歳の時には散歩中に突然”永遠回帰”の思想が頭に降りてくるという神秘的経験をします。だんだん精神的にやばそうな側面がみえてきているような気もします。”永遠回帰”の思想についてはのちの記事で書きます。

 

ルー・ザロメとの出会いと失恋

1882年、38歳でルー・ザロメという女性とイタリアで出会います。当時彼女は21歳。パウル・レーという数少ないニーチェの友人からの紹介で出会いました。ところが、実はザロメとレーは互いに行為を持っているという悲しい事実。いわゆる三角関係です。これは現在でもありそうな話ですね・・・。

 

ザロメもニーチェの好意をはっきり断らず、なんとなく3人で共同生活なんかしてみたりしてます。想像するとこれはかなりキッツイ状況ですよね。結局、生活は破綻し、ニーチェは深く傷つきます。

 

このつらーい経験を経て名著『ツァラトゥストラはかく語りき』が書かれることとなります。「第一部」はわずか10日という怒涛の勢いで書き上げられており、その思考と感情のすさまじさを感じざるを得ません。ただ、社会的に評価のなかったニーチェにおいては、最初はこれも自費出版扱いだったそうです。

 

発狂、そして死

その後『善悪の彼岸』『道徳の系譜』など著作を完成。さらに1888年には『偶像の黄昏』『反キリスト者』『この人を見よ』『ニーチェ対ワーグナー』などの作品を一気に書き上げていきます。ここから徐々に精神がおかしくなっていったようです。

 

1889年、広場で昏倒し精神病院へ。1900年ワイマールにて死去。故郷レッケンに埋葬されます。

 

病気や失恋によって人生がうまくいかず、友人も決して多くない孤独な人生でした。

 

こんな激動の人生の中で書き上げていった著作とその思想がどんなものだったのか、人生をみていると興味が出てくると思うのですがどうでしょうか。

 

次の記事でニーチェの思想に関して説明していきます。

 

 

参考文献:

紹介記事はこちらです。

初めてニーチェを読む人にお勧めの本紹介 – 脳内ライブラリアン

ニーチェ入門 (ちくま新書)

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ニーチェはこう考えた (ちくまプリマー新書)

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ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

 

 

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