哲学について素人が学んでみるシリーズです。
さて、前回アダム・スミスについて学んでみましたが、次は同時代ながら関連はあまりないカントについて本を読んでまとめてみます。
カントについて高校時代の知識で学んだことと言えば、「定言命法(条件付きではなく〜せよ、という命令が道徳的に良い)」と「純粋理性批判」など3大批判書を書いたことや毎日決まった時間に散歩に出かけて街の人がそれをみて時計を合わせた、というくらい厳格な人だった、というエピソードくらいです。
当時の高校の倫理学の先生は
「カントは読んでみたけどさっぱり分からん!」
と言っていたのでそれ以上には分かることもありませんでした。
何故カントが現在も振り返られるくらい大きな影響を与えているのか。そこを少しでも理解してみようと思います。
マイケル・サンデルもオススメ?
マイケル・サンデルといえば、正義論の講義で少し前に日本でも話題になりました。代表的な本である「これからの『正義』の話をしよう」では章ごとまるまる使ってカントの思想について好意的に触れられています。
カントの哲学は難解だ。しかし怖じ気づく必要はない。挑む価値はある。報酬はけた外れに大きい。(「これからの『正義』の話をしよう」第5章より引用)
ベタ褒めですね。そんなにも有益であるということなんでしょうか。さらに文章は次のように続きます。
『道徳形而上学原論』は、ある大きな問いを投げかけている。道徳の最高原理とは何かだ。そしてこの問いに答える過程で、同書はもう一つのきわめて重要な問いを提示する。自由とは何かだ。(同上)
道徳の最高原理と来ました。
そこまで大きな話をされると気になってくるところです。また、以下のような記述もあります。
道徳とは幸福やその他の目的を最大化するためのものでなく、人格そのものを究極目的として尊重することだと論じ、功利主義を徹底的に批判した。(同上)
功利主義というのは様々な形をとるものの、ここでいうのは、いわゆる「最大多数の最大幸福」と言われるジェレミー・ベンサムが挙げた古典的な功利主義のことです。単純な原理ですが納得しやすいだけに意外と否定するのが難しい。
医学を例にすると、限られた医療資源を分配するときにできるだけ多くの人が救われれば、少数を犠牲にすることを厭わない、という考えが簡単には許されないのか。「個人」というのをそこまで尊重する理由は何なのか、それを明らかにしようとしたのがカントです。
定言命法がなぜ道徳的に良いとされるのか
先ほど挙げた「条件にかかわらずやった方がいいと思われることはやる」という定言命法。例として「嘘をつかない」ということがよく挙げられます。それを守る根拠は何か。また、個人を重要視する根拠は何なのか。ここを中心に本を読んだことからまとめていきたいと思います。
なので主には
1、根拠となる純粋理性批判とは
2、定言命法がなぜ良いのか
3、個人の尊重と自由がなぜ重要視されるか
についてのカントの主張をまとめてみます。
難しいのは確かで、あまり手を広げて本を読めるようなものではなかったので、主に「カント入門」を要約しています。「入門」と言いながら入門ですら難しかったので「これからの『正義』の話をしよう」や小説ながら哲学の話を分かりやすくまとめ上げた「ソフィーの世界」と超簡易まとめ本である「大学4年間の哲学が10時間でざっと学べる」もちらちら見たりしてみました。
続きは次の記事で。
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