前回記事では現象学の中心となる思考スタイルである「現象学的還元」について紹介しました。
【意見対立の解消に役立つ】エドムント・フッサールと現象学① – 脳内ライブラリアン
今回はその提唱者であるエドムント・フッサールはいつ頃の人なのか、どんな哲学の流れからその思想が生まれたのかを簡単に概説します。
目次:
哲学の流れの中での「現象学」
カントの影響
どんな流れでこの考え方が出てきたのかを概説してみます。
以前イマヌエル・カントの記事を書きました。
カントは著書『純粋理性批判』で、人間の理性では「神」や物事の真の姿である「物自体」は捉えられないことを示しました。「神」とか言われても我々現代人にはいまいちピンと来ないと思うので、「真にあるべき世界」とか個人の単位でいえば「真の正しい生き方」とか読み替えてもいいかもしれません。
それまでのヨーロッパの哲学では「神」だとか物事の本質についてひたすら議論が重ねられていたわけですが、「そんなの人間の理性では分からないよ!」とスパッとカントが断ち切ったわけです。
カントは”物自体”としてその存在を仮定し、アンチノミーをうまく使って、それを感じ取る方法を提案した、のでした。
カントは1724年生まれ、1804年に亡くなっているので、これが大体18世紀のことです。
カントへの疑問
カントは上記の方法を使って「最高の道徳」なるものを示しましたが、どうも納得しきれません。というのも、「物自体」という実際に存在しない物事の世界を仮定するのは、証明もできない話ですし、結局よくできた空想上の物語なんじゃないか、と思ってしまいます。
カントに続いて出てきた有力な哲学であるヘーゲルの哲学も、歴史を通じて徐々に「真理」というものに近づくという「真の世界」を想定する点では同じでした。
少し後の時代になりますが、そうした「客観的な正しい真の世界」という想定から「主観的な世界」へと徐々に哲学の対象が切り替わっていきます。これが実存主義と呼ばれる哲学です。
デンマークのキェルケゴールはその先駆者とも言われ、主体的な視点に重きを置きましたし、フリードリヒ・ニーチェのように、空想上の世界に対して厳しい批判を加える考え方も出てきます。ニーチェはその人生も考えもオモロいのでまたどこかで書きます。
ニーチェによれば、神を仮定する思想や、論理的に導けばどこかに真理があるという合理主義でさえも、結局はニヒリズムと呼ばれる、「実は真の価値なんてどこにもない」という考えに行き着いてしまう、とされます。
そこで、その真の世界、物事の本質といった問題をどう扱うか考えた一つの方法が「現象学」です。
「現象学」の生みの親、フッサール
この「現象学」のスタイルを使い始めたのはドイツの哲学者エドムント・フッサールです。
1859年、当時のオーストリア領(現在はチェコ)で生まれています。ライプツィヒ大学、ベルリン大学で学び、最初のころは数学者ワイエルシュトラスについて、数学の問題を学んでいます。
有名な数学者のようですが、正直良く知りません(汗
その後ブレンターノという哲学者の講義を聞いて専攻を哲学に変えます。当時の時代の数学は、論理記号などを使って数式をより普遍的に用いることで、あらゆる思考要素の基盤になるような努力がされており、数学と哲学というのはそこまで無縁なものではなかったようです。つまり、これは数学・論理学のような客観的なものが人間の精神も含め本質を説明しうるという立場です。
また、もうひとつ時代の流れとしてあったのは、心理学の発展です。当時の自然科学と同様に、実験による証明によって実証できるものに焦点を当てて心理学は発展していました。現在の心理学も、結局のところ実証・統計的解析が良く行われているのかなと思います。
そこから、結局のところ、数学や論理というのも人間の精神から生み出されているので、心理の研究を進めることで、数学や論理も説明することができるとしました。心理学こそがすべての物事の本質を見定めることができるという心理学主義という立場です。
フッサールはこの2つの立場の間を揺れ動き、最終的には独自の立場を目指します。
まず、数学と論理学を学んだエドムント・フッサールは初期の著作として1891年に『算術の哲学』を書きます。 これは先ほどの心理学主義の立場をとっており、<数というものは「数える」という作用の心的所産(木田元『現象学』より引用)>と考えた著作です。
うってかわって、9年後の1900年に出された『論理学的研究』の第1巻では、心理学的な経験則から論理や数学のような普遍的、客観的なものは作れない、として客観主義・論理主義に変わります。
なぜなら、心理学的な実証実験(つまり経験則)から導き出される答えはあくまで「それなりに正しい」答えに過ぎず、論理や数学のような統一性がきっちりあるものは生み出されないのではないか、と考えます。この本が学界では大きく評価されることになっていきます。
そしてさらに分かりにくいことに、同じ『論理学的研究』第2巻では、もう一度心理学主義に近い方向へ戻っていきます。そこで出てくるのが、「現象学」です。 人個人の意識体験に焦点を当てながらも、心理学主義と異なるのは、心理学のようにそこから理論を見つけ出すわけではなく、ただ純粋に意識体験にのみ着目し、記述する、という点です。
まあ内容はとても分かりづらい話なのですが、フッサールが様々な思考をぐるぐると周りながら発展させていったということが分かります。
そしてその後1913年に『純粋現象学および現象学的哲学の構想(イデーン)』が刊行されます。ここにきて前回紹介した「現象学的還元」が説明されます。
フッサールはその後も思考を深めていき、弟子のハイデガーと仲たがいしちゃったりするんですが、その先の話はとりあえず(正直理解もまだ難しいので)置いておくことにします。
次回は現象学的還元の応用方法を少し考えてみます。
参考文献:
医療ケアを問いなおす ──患者をトータルにみることの現象学【シリーズ】ケアを考える (ちくま新書)
参考文献の紹介記事はこちら
「現象学」について学び始めたい人に紹介する本3冊 – 脳内ライブラリアン
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