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【生きる目的が分からなくなってしまった人へ】フリードリヒ・ニーチェの思想⑤

今回は永遠回帰の思想から導かれるニーチェなりの生きる意味について、述べていきます。今回でニーチェは最後です。

 

前回までの記事はこちら

【生きる目的が分からなくなってしまった人へ】フリードリヒ・ニーチェの思想④ – 脳内ライブラリアン

【生きる目的が分からなくなってしまった人へ】フリードリヒ・ニーチェの思想③ – 脳内ライブラリアン

【生きる目的が分からなくなってしまった人へ】フリードリヒ・ニーチェの思想② – 脳内ライブラリアン

【生きる目的が分からなくなってしまった人へ】フリードリヒ・ニーチェの思想① – 脳内ライブラリアン

 

 

目次:

 

なぜ人間は不快と思えることでも頑張れるのか

人生には辛いこともたくさんあります。ニヒリズムを徹底した結果、それは「来世」などの逃げ場を持ちません。なぜそれでも人間は頑張ることができるのか。

 

ニーチェによれば、それは人間の持つ「力への意志」があるから、ということでした。「力への意志」は『ツァラトゥストラ』を書いた辺りから構想されていた内容で、最終的には発狂してしまったことで、本にまではなりませんでした。『ツァラトゥストラ』や『権力への意志』などに断片としてみられています。そのため、「力への意志」の解釈は諸説あるようですが、色々述べると話がばらばらになるので今回の記事では石川輝吉著『ニーチェはこう考えた』をベースに紹介してみたいと思います。

 

では力への意志とは何なのか。著作の断片から整理してみると、力への意志には「自己増大」と「自己保存」といった内容が含まれています。それぞれのキーワードとして

 

自己保存(自分を守る力)

自我 意識 統一性 因果性 論理 概念 理性

自己増大(自分を大きくする力)

肉体 過剰 多様性 支配 暴力 舞踏 陶酔 セックス

(石川輝吉著『ニーチェはこう考えた』より引用)

 

となります。前々回の記事で「価値観が変わってしまった」ことを述べましたが、本来人間にとって重要であった「自己増大(≒貴族的)」がないがしろにされ、「自己保存(≒僧侶的)」があまりにも優先されていることをニーチェは指摘したわけです。この「自己増大」に則った価値観をもっと考えるべきだと言いたいのです。

 

それに基づけば、「不快を乗り越えること」の意味は説明ができます。勉強する、運動する、辛い出世競争に耐える、仕事をする、介護をするといったことはお金や出世、知識、肉体、支配、人を助ける力をもつなど、自己の増大につながっていくからです。

 

分かりにくい場合は具体的な例を考えてみます。本で紹介されているのは、自転車の例です。自転車に乗れるようになったときのことを考えてみましょう。それまでは転んだり、うまくいかず、とても不快な思いをしたことでしょう。ただ、乗れるようになったことで大きく行動範囲も広がり、移動スピードも速くなり、力を得たことだと思います。これが「力の感情」と言われ、「力への意志」を感じとった結果であり、「力への意志」を推定する一つの例になると思います。

 

「力への意志」は危ない思想?

自転車の例は微笑ましいですが、さきほどの自己増大のキーワードをみるとちょっと危険な雰囲気がします。暴力とか支配とか。他にもニーチェは公平ではなく強い人を作り出すと言ってみたり、ナチスドイツの思想に利用されたり(これは妹による影響が大きいと思われている)、危ない思想である雰囲気もします。

 

ただ、以前の記事でも述べた通り、「強者が正しい」という論理なわけではなく、「人間にとって強い生き方」を目指すことは皆の課題であり、互いを励まし合いながらやりましょう、という考え方というほうが近いと思われます。人を蹴落としたり支配することが最終目的ではなく(それではもっと暴力的だった古代に逆戻りしてしまう)、それだけの力を持てるようにみんなで頑張りましょう、という形ですね。

 

「力への意志」は功利主義よりも基礎に立つ

快と苦を根底に置いたのは古典的功利主義でしたが、ニーチェに言わせるとこの「力への意志」はそれよりもさらに根底に設定されます。

 

「快」と「不快」のうちにはすでに判断が潜んでいる。刺激は、権力感情を促進するか否かによって異なるからである。(ニーチェ著『権力への意志』より)

 

価値判断の大本として「力への意志」を考えていたことが分かります。

 

「力への意志」は意識できない

ただ、注意したいのはニーチェの提唱した「力への意志」は「不快なことでも力への意志だから頑張れ!」という根性論ではありません。「力への意志」は意識できるものではなく、無意識下で我々に価値観を思い起こさせるものだからです。

 

何故なら「意識できるもの」とすると、他の僧侶的価値観との区別がつかなくなりますし、もっと根底にあるものとして「力への意志」を考えていたためそう言わざるを得なかったのだと思います。

 

ただ、無意識といってしまうことで、証明ができないものとなってしまい、果たして存在するのかどうかはよくわからなくなってしまいます。

 

個人的な意見

証明できないとはいえ、個人的には「力への意志」はある程度納得のいく考え方だと思います。生物としての人間を考えたときに、『サピエンス全史』でも述べられていましたが、人間は狩猟採集民自体でも、かなりの数の生き物を絶滅させてきました。それは意味もなく絶滅させたわけではなく、自己増大を根源としているがゆえ食料として生物を狩りつくしたからに他なりません。

リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』という有名な本もありましたが、自己を増大していくというのは生物としてある種当然の方向性であるように思います。その現実から目を背けて、自己保存の観点に着目しすぎるのは確かに誤りがあるといえます。

 

ただ、じゃあその自己保存で並べられたキーワードが無意味かとまで言われるとちょっとそこまでは言い切れません。どちらも両立させることが大事であると思います。

 

あまりにも長く忘れ去られてきた「自己増大」に注目させた、という意味で、個人の人生を考えるうえでもニーチェの思想は刺激的で興味深いと感じました。

 

明日参考文献の紹介記事を書きます。

 

参考文献:

紹介記事はこちらです。

初めてニーチェを読む人にお勧めの本紹介 – 脳内ライブラリアン

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ツァラトゥストラかく語りき (河出文庫)

 

 

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