正式な用語ではないのですが、罹病期間が長い病気にかかられている方、繰り返しやすい病気にかかっている方は自身の病気について下手な医師よりも詳しくなることがあり、”プロの患者”となることがあります。
神経内科でいうと免疫関連の疾患(多発性硬化症、重症筋無力症、視神経脊髄炎、CIDP)なんかがこうした疾患にあてはまりやすいです。あとは他の科になるますが、腫瘍とかが多いでしょうか。
ふと思ったのですが、今ブログで自分が学んでいることは基本的に独学で、プロの患者も独学であることが多いなと思うと何となく共通点がありそうだな、と思い立ったので、医師側の視点から書いてみます。
前提となる基礎知識の違い
医師は基本的に大学6年の教育で、2年ほどは基礎医学的な教育を受けます。解剖学、生理学、生化学、薬理学、、、などといった体や治療の仕組みの大原則となる学問についてです。まあさほどそのころ真面目に授業受けてなかったとしても、それなりに原則的なルールを知ることができます。プロ患者の方はたまにですが、こうした理論を逸脱した仮説を出されることがあります。それはこの前提知識の違いから来ているように思います。
体験の一般化
もう一つ起こりがちなのは、プロ患者さんの場合、基本的にその疾患についての知識は主に体験によってくるため、自己体験あるいは他の患者さんのブログ・患者会で出会った別の患者さんなどの体験に依ってくることが多いと思います。それを過剰に一般化される場合もあります。よくあるのが、典型的な患者さんよりも症状が重い方に典型的な患者像を説明すると「もっとみんな大変なのかと思ってました」と言われます。
かといって、医師がこの体験の一般化の影響を受けないかと言われると当然そうではないです。もちろんデータとして病気の特徴をみたり、患者さんが経験するより、多くの患者さんの状態を経験してくることはありますが、それでも稀な病気やデータが不十分である場合、勉強不足の場合は、この影響を受けざるを得ません。
狭い一点をみればプロ患者の方が詳しいこともある
プロ患者は当然ながら自分の体のことなので、自分の病気の型や薬については細かく掘り下げます。医師は膨大に増えゆく医学知識の中でいろんな病気やさまざまな型について知らないといけないので、ある一つの病気の型についてはそこまで知らないこともありえます。そうするとプロ患者のほうが新しい知識に詳しいこともあるわけです。珍しい病気だとそういうことも起こりやすく、患者さんに言われて「、、、あ、そうなんですね」となったことも正直多々あります(特に担当して最初のうちは)。
一番大事なのは患者と医師とともに、お互いの知識の限界を素直に認めながら最善の策を相談していくことだと思います。逆に自分の考えにあまりに固執する医師や患者というのは良い関係や結果を生みません。
自分が神経難病の患者さんで、毎日症状を客観的な数値を使って記録をつけて、治療の時期や方法を相談してくださる方がいます。まめな性格ということもあるのでしょうが、お互いにとって一番良い医療ができることにつながっています。例えば、高血圧の人が血圧をきちんと測るということもそうでしょうか。
患者さん側から集められる知識と医師が集められる知識はどうしても差異が生じます。医師も何でもわかるわけではないですし、患者さんも知識を勘違いすることもあるので、これはお互いにしょうがないことだと認めなければいけません。患者さん側から「素人意見で恐縮なのですが、、」と申し訳なさそうに自分の考えを言われる方がいますが(さらには言えない人もいるのだと思います)、気になることは言っていただけると、病気に立ち向かうヒントにつながるかもしれません。ただ、日本の医師は常に外来の時間に追われているのでゆっくり話せないことが問題ですけどね。
独学との関連
すっかり話が飛んでいってしまいましたが独学との関連について。独学だとどうしても、その分野の人が本来学んでいる基礎知識が抜けてしまうため破綻した理論となってしまったり、普段の経験を過剰に一般化してしまったりということが起きます。ただ裏を返すとその分野の人には出てこないようなアイディアを出すこともできるという利点につながります。医師-患者関係にアナロジーをみるのであれば、専門家とまじりあったときにより良いものが生まれるのかもしれません。
コメントを残す