読みたい本は結構溜まってきているのですが
コロナ感染を少しでも防ぐために車通勤にしているもので
オーディオブックしかできないんですね。
家と職場では読む時間もかなり限られるので。
なので、愛用のオーディオブック.jpにて本を買ってますが
本が限られるのと高いのが悩みどころです。
早く電車通勤で読書生活したい、、、。
つい最近オーディオブックで聴いたのがこちら。
思うところを書こうと思います。
山口周という方はボストンコンサルティンググループとか
ATカーニーとか外資系コンサルに勤めていた方のようで
経営に関しての本を色々出されています。
本書はビジネス書大賞2018準大賞を受賞されたみたいですね。
同著者の「知的戦闘力を高める 独学の技法」も読みましたが
・さまざまな分野を学び、うまく知識を合わせていく
クロスオーバー人材がこれからの世の中で必要とされること
・そのためには独学で知識を身に着けることが重要
としており、その方法についても触れていて、なかなかに面白かったです。
で、本書も読んでみたのですが
果たしてその主張は正しいのか?と思ったので感想を。
本書の主張
感性と理性、直観と論理、アートとサイエンス
本書ではこれらを対比しながら
理性のみを偏重した結果の誤りを指摘し
真善美に基づいた直観での判断を磨き
感性と理性の両面を整えるように伝えています。
タイトルである「世界のエリートが美意識を鍛える理由」としては
ひとえに論理のみでは限界に達しているからということなようです。
この主張の中で自分が気になったのは
アートとサイエンスは対立するものなのか?というところ。
この本はあくまで経営の本で自分の見ている医学世界とは
異なるからかもしれませんし
医学分野の人間なのでどうしても
科学偏重の傾向があるのかもしれません。
筆者の主張を少しみてみます。
①スピード感の必要な変化の大きい現代で
論理による意思決定は時間を要すること
②論理による最適な解答は言語化/理論化できるため
模倣ができる=希少価値がなく商品価値が低くなる
ということを述べています。
①は分かります。
直観の方がより早く、正確な判断ができることが多いということは十分にあり
ノーベル賞受賞者で行動経済学者のダニエル・カーネマンが
「thinking fast & slow」で述べている
システム1(直観的)とシステム2(論理的)の違いでよく示されており
数々の実験で証明もしています。
実際医療現場でも
急変した患者さんに遭遇したとき
そもそもその患者さんの情報がほとんどない中でも
言葉にするまでもなく何となく可能性の高い疾患が絞られていく状態は
医療従事者なら分かるのかなと思います。
論理は一定の解答を出すのか
でも②はこれどうなんでしょうかね。
最適な解答が得られたかのような気分にはなっても
そもそもそんなものできていないと思います。
論理による最適な解答というのは同じ手順を踏めば模倣はできるでしょうけど
その解答を出すプロセスというのは、一様ではありません。
例えば現代の医学はデータに基づいて行われることが標準化されており
Evidence based medicineと随分前から言われるようになっています。
そのevidence(いわば論理でありサイエンス)が
同じ解答を常に生んでいるのかどうか。
同じデータを用意しても
そこから得られる統計データ分析の仕方や仮説は分かれますし
そうすると当然結論も異なる。
散々何度も示された強固な論理でない限りは
同じ解答にならないわけです。
まあいわばここが筆者のいう論理の限界なのかもしれないのですが。
筆者が言うほど論理は最善な解答を多く出せておらず
まだまだ大量に解答を絞り込む余地が残っていると思うのです。
(マーケティングじゃなくて医学の世界だからそう思うのかもしれません)
それを感性を先頭にして仮説を出しながら
少しずつ絞り込んでいくのが科学であり
それぞれが同時に歩んでいくものではないでしょうか。
感性によってさまざまな解釈をとりながら
感性によるブレを科学的な解釈によって減らしていく。
アートとサイエンスを別々のものとしてみるのではなく
混ざりあいながら高まっていくものではないかと感じました。
医学教育の礎をつくったカナダの医学者ウィリアム・オスラー(1849-1919)
が残した言葉には近いものを感じます。
「Medicine is a science of uncertainty and an art of probability.
(医学は不確実性の科学であり、確率のアートである。)」
もしかすると経営よりは医学のほうが
元々アートに意識が向いていたのかもしれないですね。
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